和太鼓奏者・御木裕樹 コラム

-其の壱- 和太鼓とは・・・


物を叩くという行為は人間が生まれてから行う最も初歩的・基本的な行為であり、木に穴をあけて動物の皮を張った“太鼓”は、人間が現れた時代から仲間や部族メンバーへの意思の伝達 、信号などに使われ、声を出すのと同様に音楽の原点である。
和太鼓の原点である各打楽器はアフリカ大陸からアジアに渡り、現在の中国大陸から日本にという説が有力とされている。

日本の太鼓は基本的に音がなるべく遠くまで届くように作られており、太鼓の種類や土地の環境にもよるが屋外で叩けば数キロ先まで聞こえる為、戦国時代には戦闘の合図や号令にも使われた。
神社・仏閣・寺などでは昔から太鼓が使用され続け、全国の神事でも欠かせない楽器であり数多く使用されている。

江戸時代には神事以外にも芸能などで使われるようになり、伴奏する楽器としても使われるようになる。
歌舞伎・能・雅楽・長唄・民謡・大相撲・全国の郷土芸能・祭礼・武道などで使用され、昭和後期になると伴奏にとどまらず太鼓演奏をメインとする舞台芸能として使われる ようになった。
こうして太鼓は、意思の伝達→信号→合図→神事→伴奏(サブ演奏)→太鼓がメインの芸能・芸術と歴史を積み重ね、現在は太鼓演奏がメインの舞台芸術として多彩な演奏法が編み出され、音楽家 (ミュージシャン)の楽器として使用されるまでになった。
自分は現在 “和太鼓奏者”という職業だが、これも偉大なる先代・先人が創り上げてきた歴史により可能となった職業である。


一言で和太鼓と言っても様々な種類の楽器があるが、そのほとんどは胴に樹木を使用し、牛の皮を張っている。(馬皮の太鼓もある)
“和太鼓”と聞いて一般的に想像するのが、一本の木をくり貫き牛の皮を張り、その皮のフチを黒いビョウで打ってある“長胴太鼓”(“宮太鼓”)であるが、いずれにせよどんな太鼓にせよ太鼓を作る為に樹木を殺し、牛や馬を殺して作られている。
和太鼓は、生き物の命と製作者である職人の知恵・技・労力が注ぎ込まれ、長い年月をかけて一つの太鼓が完成する。
様々な生き物の“心”が入ってるわけで、“魂”が注ぎ込まれた神聖なるものであり、太鼓そのものが“御神体”である。

プロ・アマ問わず、和太鼓を演奏する全ての者(以下「和太鼓奏者」)は、先人、楽器、牛、樹木など全てに感謝し楽器を取り扱わなければいけないし、同様の気持ちで演奏し自分の楽器を愛し、向かい合わなければいけない。
今の時代は何でも壊れればすぐに捨て、新しく買い換える時代であり、太鼓を粗雑に扱う者も少なくない。
和太鼓は生楽器も生楽器であり、全て自然の素材を使用しており、太鼓本体を支える台(スタンド)も全て樹木で作られ、奏者が手に持つ“バチ”も自然物である樹木である。
天候や湿度などにより敏感に音が変わる事はもちろん、奏者の知識・技術・奏法により音が変わる事ももちろんだが、取扱う者の“心”により音が一番変わる。
繰り返し言うが、和太鼓とは和太鼓そのものが生命であり“御神体”である。

和太鼓(太鼓・バチ・台)には樹木が多く使われ和太鼓と樹木は深い関係であり、その樹木の種類や状態も音に対して重要な要素である。
ちなみに、よく聞かれるのだが「御木裕樹」(みき ひろき)という名は本名である。
物心がついた時にはバリバリ和太鼓を叩いていたので、本当に和太鼓との運命・宿命を感じる。
大変に有り難い名前を頂いた両親と、見守り導いて下さった神に、感謝の心でいっぱいである。


プロ・アマ問わず、全ての 和太鼓奏者がまずはお手本となって、楽器を大切に扱い、感謝の心を持って接する。
これが自らの楽器、自分が愛する楽器を扱う者の最低限のマナーであり、太鼓に対する敬意である。


御木裕樹(和太鼓奏者)


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