和太鼓奏者・御木裕樹 コラム

-其の弐- 楽器の取り扱い

全国のアマチュア和太鼓団体の数は、現在15.000団体以上とも言われている。
しかもこれは市町村などに登録されている数であるというのだから、小規模な創作太鼓チームや同好会なども含めればその数はさらに増え、かなりの団体数になるだろう。
単に和太鼓団体と言ってもその目的・趣旨は様々であり、純粋に和太鼓のみで舞台演奏をして観客に演奏を聞かせるような太鼓集団ばかりとは限らない。
団体によっては“獅子舞”の演舞を主として伴奏として太鼓を用いているし、また“神楽”や“日舞”(日本舞踊)がメインとして和太鼓を用いているチームもある。
沖縄の“エイサー”のような唄と踊りに太鼓を用いる芸能もあれば、五穀豊穣・家内安全などを祈る儀式や行事として太鼓を演奏する太鼓団体もある。
“雨乞い”行事や、“神事”で使用(演奏)する事を目的とした団体もあれば、観客の有無に関わらず“神”に奉納する事が目的の団体などなど、その用途は様々である。

太鼓がいかなる用いられ方をしようとも、 いずれにしても声を大にして言いたいのは、太鼓は太鼓そのものが「御神体」であるという事だ。
宗教的な話では無く、そのくらい大切であり“誇り”の存在であるという事だ。
街の中でその辺にゴミを投げ捨てる者は多数いるが、お寺の本堂や神社の境内にゴミを投げ捨てる者はほとんどいない。
これは神聖なる場所、すなわち“聖地”として認識しているからである。

これは実際にあった話だが、とある私有地の空き地にわざわざゴミを持ち込んで捨てていく輩がいて、気がつくとそれを多数の人が真似をしてゴミを捨てに来てしまい、その量も増えて不法投棄のゴミ山になってしまった。
困った地主は対策を考え、あらゆる手段を用いたが不法投棄は一向に無くならなかった。
そこで地主が次に考え出したアイデアが凄い。
なんとその空き地の中央に、神社にあるような“真っ赤な鳥居”を立てたのだ。
すると途端にゴミを捨てていく者はいなくなって、問題は解決したという。
無論、その空き地に神社があるわけでもなく御神体があるわけでもないのだが、 「神様に無礼があってはいけない」 「バチが当たる」といった、日本人の宗教的な考え方を逆にうまく利用したのである。
人間の認識の仕方や捉え方は重要であり、どう考えるかによって物の価値観が変わる。
例えば、ある人にとっては神様と同じくらいに偉大な存在である物も、ある人にとっては何の価値も無い物だったりする。
格闘家にとってはリングが聖地である。
仕事上、格闘技イベントへの出演などでも何度もリング上で演奏させて頂いているが、格闘家が命を賭けて戦い、汗や血で赤く染まったリング上は神聖なる聖地であるわけで、自分も同じ気持ちで上がらせて頂いているし、決して無礼の無いように心がけているつもりである。
芸人(音楽家・演奏家・和太鼓奏者など)にとっては舞台やスタジオが聖地である。
太鼓を演奏する者やその関係者にとっては太鼓自体が大切な道具・楽器であると同時に 、太鼓自体が“御神体”、すなわち“神様”である。
ところが全国的に、自らが演奏する楽器である太鼓に対して粗雑に扱う事をよく目にする。
太鼓は裸の状態で乱雑に山積みされ、年中そのまんまの状態。
気温や湿度なんて気にもしないし、雑に扱うものだから胴も皮も傷だらけだ。
これでは楽器に失礼であり、かわいそうであり、それでいて演奏する時は「良い音で鳴ってくれ!」などとはムシが良すぎる。
これまでも全国各地の太鼓団体を数多く指導してきたが、そのほとんどは楽器の扱い方が乱暴・粗雑であり、演奏する以前にまずこの辺の指導からする事になる。
太鼓が傷つく時というのは大体決まっていて、搬入、セッティング、移動、梱包、搬出、運搬、保管のいずれかである。
皮肉な事に演奏中が一番安全だ。
演奏中に太鼓本体に傷がつく事はまず無いと思っていい。
演奏方法が悪く演奏中に打面を傷つける可能性があるが、これは論外である。
基本的に、太鼓を専用ケースに入れて移動・保管するといった事をしていない団体が多い。
近年はだいぶ普及してきてはいるが、それでもケースすら所有していない場合がほとんどである。
布の生地で作られたソフトケース、ファーバーのセミハードケース、ジュラルミンのハードケース(フライトケース)など、様々な形式があるが、いずれにしてもまずは意識の問題である。
ケースが無いのであればとりあえず毛布に包むとか、スポンジマットを使うとか、ダンボールで保護するとか・・・。
予算をかけなくても、すぐに出来る方法はいくらでもある。気持ちの問題だ。
楽器を大切にする意識があるならば何か方法を考えるのが普通であり、こんな事は演奏する以前に重要な事だ。

金額の問題ではなく意識の問題だが、ちなみによく見る平置きや盆太鼓などで使用する、欅(ケヤキ)の長胴太鼓(宮太鼓)(一本の樹木をくり貫き、牛の皮を張り、その皮のフチを黒いビョウで打ってあるタイプの太鼓)1台(1個)の価格は、軽自動車1台の価格と同じくらいする。
仮に太鼓が保存会の持ち物だったり、会・団体・チームの所有物だったり、市区町村など役所の備品であっても粗雑に扱ってはならない。
今まで、太鼓がチームの所有物だからと気を使わず粗雑に扱い傷だらけにしてしまっていたが、ある時自分で苦労してお金を貯めて買った太鼓となると途端に扱いが神経質になり丁寧に慎重に取扱うようになったという、笑えない話も実際には多数ある。
念願の太鼓を自分が購入して日頃から大切にしていて、それを他人に粗雑に扱われて傷をつけられようものなら、誰でも怒るだろう。
実際に太鼓店のレンタル用太鼓は傷だらけでボコボコだし、レンタカーや図書館の書物、レンタルビデオやレンタル衣装といった“借り物”は粗雑・乱雑に扱われる事が多く、 個人所有の同じ物よりも“寿命が短い”。


太鼓が自分の所有物ではないからと言って乱雑に扱いがちだとしたら大間違いであるし、 太鼓は力一杯叩いても平気だからと言って粗雑に扱いがちだとしたら、それも大きな間違いである。
実は物凄くデリケートな楽器であり、奏法や扱いを間違えれば皮も破れてしまう。
湿気や乾燥に弱いし振動や衝撃にも弱く、胴は樹木である為にすぐに傷ついてしまう。
楽器も重いものがほとんどなので、ドンッと置いたり、ガツンとぶつけたりして簡単に傷がついてしまう。
搬入する時に、スタジオなどの入口のドアに太鼓をガツッとぶつけたりする事は、少し気を使えば防げる事なのだ。
傷がつくそのほとんどは、太鼓を持ち運ぶ時に起こるのであり、演奏する時ではない。
自分が愛する物を大切に扱えない者は、どんなにお稽古を重ねても無駄であり、良い演奏を出来るチャンスすら無い。
太鼓の 皮も正しい演奏法で打ち鳴らせばかなりの年月を使用できるが、これもまたデリケートな部分であり、とても弱いものである。

よく見るのは、まず地面(床)にベタで打面を下にして置く行為である。(“ベタ置き”とでも命名するか)
セッティングの時も搬入の時も、これだけはタブーである。
この状態で保管するなど、もってのほかであってはならない。
なぜなら単純な事で、簡単に皮に傷がつくからである。
さらに信じられない事に、“ベタ置き”の状態から太鼓を移動させる為に、そのまま引きずる行為もよく見かける。
絶対にやめてほしいし、太鼓が痛々しくて見ていられない。
太鼓が可哀想とか酷いとかを越えて、太鼓と太鼓を愛する者に対する侮辱であり、御神体である太鼓と神様を冒涜する行為である。
人間も裸足で歩き回れば足に傷がつくだろう。
さらに引きずられ、雨に打たれ、壁やドアにぶつけられ、服も着せてもらえずに裸で放置されたら、それは耐えられない事であろう。
生き物である太鼓も同じである。


太鼓を乗せる“台”を使用せず、 この太鼓の打面を下にする“ベタ置き”状態のまま演奏しているチームまでいるのだから恐ろしい事だ。
楽器の特性とか以前に、まず太鼓の構造すら理解してないと言っていい。
なぜなら下の皮が地面と接しているという事は、打面を叩いた時に裏面の振動が止まってしまうので音がちゃんと出ない。
結局、裏でミュートしている事になる訳だから、そのまま叩くと裏に空気の振動が抜けずに、叩いた面に衝撃が吸収される事になりヘタをすると打面が破れる。
換気扇が無い部屋で焚き火をするくらい危険な行為である。


もう一つ言っておくと、太鼓の皮を破く事もタブーである。
太鼓は叩いて叩いて使い込んで、やっと良い音になるからである。
皮がなじんできて表面の薄い皮がめくれてきて、やっとスタート地点という事だ。
使えば使うほど、打ち込めば打ち込むほど良い音になり、音に深みも出て良く響く太鼓になる。
ピアノなどのアコースティックの楽器も全く同じであり、使い込んだほうが良い音になるし、楽器としての価値も上がるのだ。
何でも新品が一番良いコンディションだと思ったら大間違いで、太鼓に限って言えば新品状態がその楽器の“一番悪いコンディション”である。
なぜなら、皮も硬く、叩いた感触も硬く、音も硬く、音程も高い、響かない、太鼓が唸らない、鳴らない、音が抜けない、などなど問題点は山ほどあり、その楽器本来の音が出るのは、ある程度叩き込んで皮が馴染んで来た状態でないと実現されないからだ。
皮製品のバッグや靴・ソファー・洋服なども、新品の時は硬くて使いにくいが、 使い込んでくると皮にも艶がでるし、馴染んできてその商品の一番“おいしい”状態になる。
飾り物・観賞用の太鼓であれば新品のままでも問題は無いかもしれないが、演奏する以上楽器の見栄えも大切だが、一番大切なのは音である。
良い音が鳴って、楽器も新品同様に綺麗であれば言う事は無い。
だから! 傷などをつけないように大切に扱い、叩き込んで音を良くして末永く扱うべきである。
楽器以外にも、各ジャンルでその道のプロ(職人)が使用する“商売道具”なども同じであり、長年使っていても調整に調整を重ねるものまである。
演奏中でも、そうでない時でも、皮を破くという事は絶対にマイナスであるし、御神体に傷をつける行為にもなる。
何十年も使用していれば、経年劣化で皮も薄くなり、いつかは穴があくかもしれないが通常の演奏で破れる事は99.9%無い。
自分は 2歳からこれまで太鼓を叩き続けてきているが、過去に一度も皮が破れた事は無い。

太鼓を扱う時は楽器に傷をつけないように細心の注意をし、毛布などを床に敷き、打面が横の状態でそっとゆっくりと置くべきである。
楽器やクサビなども含めた台の部品の“紛失”もタブーである。
損傷、紛失は、御神体そのものを侮辱する行為であり、神に対する冒涜と認識すべきである。

あとは、平ボディーのトラックで雨ざらしの状態で運んだり、床を引きずったり、演奏前にバチや太鼓を落として音を立てたり、ケースも使わずに生の状態で保管したり、積み重ねたり、“清め”だとか言って水や酒を皮にかけたり、皮を手でベタベタと触ったり、気安く手でポンポンと叩いたり、とにかくいくらでもあるが全てご法度であり、タブーである。
バイオリン奏者は、演奏前にバイオリン自体を落としたりはしないし、弓も落とさないだろう。
三味線奏者は、三味線を地面に直で“ベタ置き”することも無いだろうし、雨ざらしにはしないだろう。
太鼓は何よりも大音量が出る楽器であるが、何よりもデリケートな楽器である。
奏者は生卵を扱うように、そして赤ちゃんを抱くように、そして自分の愛する人と接するように、太鼓に接するべきである。
寒かったらそっと太鼓に毛布をかけてあげる。
炎天下だったら日陰に入れてあげる。
自分の親・兄弟・家族だったらどうしてあげるのか?
同じように扱ってあげないと、太鼓の機嫌も悪くなる。

いつもいつも愛情を持って接していれば、自分が寂しい時に太鼓が励ましてくれるよ。きっと。


御木裕樹(和太鼓奏者)


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