和太鼓奏者・御木裕樹 コラム

-其の八- 職業・仕事としての和太鼓奏者

2歳から和太鼓を叩き始めて以降、自分の時間のほとんどを和太鼓に注ぎ込んできた。
現在、職業:和太鼓奏者として生計を立てているが、これほど幸せな事は無い。
自分の趣味だった事を仕事に出来るという事は、絶対に幸せだ。

自分は小学生の頃、「将来はプロ和太鼓奏者になりたい!」、「絶対になる!」、「これしかない!」と思い、心の中で自分の人生の道を決めた。
太鼓を始めた頃は、職業の選択肢に「プロ和太鼓奏者」なんていうのは無かったし、もちろんプロになる為に太鼓を叩き始めた訳ではない。
現在でも、「ドラマー」(ドラム奏者)や「ピアニスト」(ピアノ奏者)のプロを目指す人は沢山いるが、プロの和太鼓奏者を目指す者は少ない。
すなわち、職業の選択肢に「和太鼓奏者」というのは、まず“無い”と言っていいほどである。
あくまでも趣味の世界のイメージが強いし、全国どこの市町村にも存在するアマチュア和太鼓グループのイメージや、お祭り、郷土芸能、伝統芸能、神事で行う太鼓演奏のイメージが強い。
外国の打楽器(ドラム・パーカッションなど)は職業の選択肢にあるのに、なぜ我が国・日本の伝統楽器である和太鼓奏者が職業の選択肢に無いのであろうか。
これは、どう考えてもおかしい。
どんな国でも、自分の国の物が一番愛されているものだ。
国土、風土、文化、伝統、礼儀、風習、楽器、音楽、言語(言葉)、着る物、食べ物など、どれをとっても自分の国の物が一番愛され、愛用され、美的とされているのだ。
対して日本はどうだろうか。
他国の文化はこれほどまでにモノマネするも、自国の事はとなると情けない状況だ。
敗戦後の新しい教育や国の方針が、日本人の魂にまで大きな影響を与えたのだ。

華道、茶道、弓道、柔道、剣道、空手道、書道・・・、日本の芸事には皆「道」が付く。
また、これらの稽古場の事を「道の場」と書いて、「道場」と言う。
自分は、これと同様に太鼓演奏の世界や太鼓の芸は「太鼓道」(たいこどう)だと思っている。
世間ではこんな呼ばれ方はしてはいないが、正に「太鼓道」そのものであると認識している。
太鼓が太鼓道と呼ばれ、日本人のプロドラム奏者の人数をプロ和太鼓奏者が超え、全国の楽器屋さんには和太鼓や和楽器が沢山並び、どこのスタジオやホールに行ってもドラムやピアノ同様に和太鼓セットが常備してある、そんな日本国になってほしいと、真剣に願っている。


自分は 太鼓が好きで好きで仕方なくて、頭の中はいつも太鼓の事しか無かったほど太鼓が大好きで、自らの意思でやりたいと思い、2歳から太鼓を始めた。
5歳で太鼓会に入団して、各地の盆踊り会場で盆太鼓をこなし、他にもイベント本番や発表会などに出演しながら稽古に励み、自分の生活が太鼓中心であった。
友達からの遊びの誘いも断って太鼓のお稽古ばかりしていたし、毎週土曜日の夕方以降と日曜日の全日は必ず太鼓のお稽古だった。
当時は、ザ・ドリフターズの「8時だョ! 全員集合」が毎週土曜日の夜にテレビ放送されていて、 月曜日に学校に行けば、クラス中でドリフの話題に花が咲くほど、みんなが好きで見ていた大人気番組だった。
ところが、毎週土曜日の夕方からは必ず太鼓の稽古の時間だったから、大好きで見たい「全員集合」(ドリフ)がほとんど見れなかった事がとても悔しかった。
当時は家庭にまだビデオデッキなんて無かったし、ビデオの規格はVHSではなくベータで、まだまだ高級品という時代だった。
毎週土日は、 家から電車で1時間以上かけて稽古場に通い、太鼓三昧だ。
土曜日の夕方からは、東京都内のスタジオ(室内)にて盆太鼓の稽古をビッチリ行う。
毎週、 両親に連れて行ってもらうのだが、帰りの電車はいつもクタクタで眠ってしまっていた。
帰ってすぐに布団に入り、次の朝起きたらご飯を食べて、また1時間以上かけて太鼓の稽古に行く。
日曜日は「河川敷の土手」(野外)で組太鼓とソロ打ちなどの稽古を一日中やるのだ。
悪天候の時は橋の下に移動して稽古するから、雨、風、雪、炎天下、雷などなど、様々な悪条件でも必ず毎週稽古した。
河川敷は夏はめちゃくちゃ暑いし、冬は凍えるほど寒く、いつでも風が強い。
しかし、河川敷での稽古は集中力をつける練習には最高の場所だ。
こんな「太鼓太鼓太鼓・・・」の生活を中学校を卒業してプロデビューする15歳まで続けた。

最大に好きで、やりたい事は太鼓だから、他の自分の好きな事ややりたい事は、どうしても削らないといけない。
これは趣味で習い事をやる上で、一番重要な事だ。
友達とゲームをしたり映画を見に行く事と、太鼓の稽古と、どちらを優先させるのかは自分次第だ。
ちょっと風邪をひいて、咳が出るからと言って稽古を休めば、たちまち他の人に追いつかれ、追い越されるのが芸の世界だ。
自分がどこまでのめり込むのかにもよるが、一番大切なのは好きという気持ち、熱心さ、情熱につきる。
逆に言えば、周りの人間がどんなに説得しようが、誉めようが、説教しようが、本人にやる気がなければ結局は続かない。
よく親の意思で頑張って子供を稽古場に連れてくる光景を見かけるのだが、結局は子供本人にやる気がなければ長くは続かない。
稽古場に来てただ稽古をこなした所で、本当の意味での芸は身に付かない。
逆に親がどんな事を言っても、本人が「太鼓が好き」「楽しい」 「悔しい」「負けたくない」「上手くなりたい」などといった心理状態であれば、何があっても続くだろう。
「芸事とは重い荷物を背負って急な上り坂を歩き続けるようなもの」とも言われている。
途中で止まれば周りに追い越されるどころか、自分が後戻りさえしてしまう。
すなわち、立ち止まってしまえば簡単に技術が衰えてしまうのだ。
いくら素晴らしい技術を習得出来ても、それを維持していく力はまた別である。
辞めてしまっては意味が無い。
次にどんな習い事をしたとしても、またゼロからのスタートになる訳で、どんな事でも同じ事だ。
「継続は力」だとよく言うが、正に 芸事とは立ち止まらずに常に前に進む事が大切で、技術を習得したら今度はそれを持続、維持、継続させる事が重要であり、これこそ本当の力である。


2歳〜5歳までは、地元のお祭りの太鼓(大拍子・品川拍子)や盆踊りの太鼓、そして平和島温泉(現在:平和島クアハウス)での太鼓演奏。
自己流の太鼓に自主稽古に励んでいたが、「そんなに太鼓が好きなら」という事で、5歳で太鼓会に入団させてもらった。
5歳〜15歳までの10年間は、アマチュアの太鼓会で活動し、とにかく毎日毎日太鼓である。
夏は各地の盆踊り大会で、盆太鼓を叩く会の行事があるから、夏休みはほとんど太鼓太鼓太鼓。
盆踊りの 途中の休憩時間では組太鼓もやるし、他の季節もイベントへの出演など、とにかく生活の中心が太鼓だ。
アマチュア(小中学生 )でありながら、本番舞台経験は数多くさせて頂いた。
太鼓が好きという気持ちは今でも変わらないが、当時の太鼓への情熱や熱中の仕方は普通ではなかった。
古タイヤ、ダンボール、座布団などで作った、“稽古用の太鼓”で自宅でも練習ばかりしていたし、 枕元には太鼓のバチを置き、勉強机にもバチを飾り、夜眠る時もバチを抱いて眠るほどだった。

ちなみにこの太鼓会で、5歳の時から10年の間共に良きパートナーであり、良きライバルであった同志の知ちゃん(見留知弘 氏)は、ちょうど自分が15歳でプロデビューした同じ年の4月に「太鼓芸能集団 鼓童」に研修生として入り、その後メインプレイヤーを経て現在は鼓童の代表である。
同じアマチュア太鼓会から、2人のプロ奏者がほぼ同時に誕生したという事で、これもまた素晴らしい出来事である。


中学校卒業後15歳で、プロの世界に入るチャンスを神様に頂き、迷わず飛び込んだ。
義務教育終了直後に、和太鼓奏者としてプロデビューをしたのである。
元・大相撲力士である旭道山和泰さんに2004年から和太鼓指導をしているが、自分を講師として選んだ理由の一つが15歳でプロデビューしたという部分だったそうだ。
それは旭道山さん自身も15歳で相撲の世界に、関取の世界に入られたそうで、共感されたとの事だ。
これを聞いたときは、本当に嬉しかった。
現在の、「 勉強しろ!勉強!」という学校教育の中で、自分の好きな事を職業とする為に中卒で修行に入る者は少ないだろう。
自分も中学3年の時に、「進路」の問題で色々な人から色々な話を聞いた。
「最低でも高卒」という学歴社会は、芸人になりたい自分にとっては一切関係無い事だった。
芸は 実力が全てであり、自分が何を出来るかが全てである。
高校なんかに行ってる時間がもったいないと感じたのは、勉強が嫌いだっただけじゃない。
和太鼓が好きで和太鼓を愛しているし、和太鼓奏者になりたかったからだ。
一日も早くプロの世界に入り、芸を磨き、人間を磨き、一人前になり、和太鼓奏者として飯を食うのが自分の夢であり目標だったのだ。


中卒で飛び込んだ未知の世界、プロの世界。
ただその辺の人よりも太鼓が叩けても、いくらアマチュアの世界で太鼓が上手くても、プロの世界では通用しない。
プロの世界では駆け出しなわけで、右も左も分からないヒヨッ子である。
付人(ローディー、バンドボーイ、ボーヤ)から始まったわけだが、毎日毎日一分一秒が自分の人生を左右する重要な下積みの始まりだ。
人間社会では「人から信頼を得るのには大変な時間がかかるが、信用を失うのは一瞬の出来事」だから、真剣に取り組まなくてはならない。
この事は、いつも考えさせられる。
「一事が万事」とはよく言ったもので"金太郎飴”のように、いつ・どこを切っても同じ人間でなければいけない。
芸事に精進する事とはその“正直な心”が原点であり、心構え、挨拶、礼儀、作法などがまず重要であり、必要不可欠である。
プロの世界で太鼓が上手いのは当り前の話であり、頑張る事も努力する事も当然の事であり、何の自慢にもならない。
それ以前の事をできないと簡単に弾かれてしまい、潰されて終わりだ。


あまりこのような記事が書かれた資料などを見たことが無いし、聞いた事もないので、参考になるかは不明だが。
付人は楽しい楽しい修行の時間だった。
当時はまだバンドボーイの事を「ボーヤ」と呼んでいた。
現在は「ローディー」と呼ばれる事のほうが多い。
また付き人の事は「かばん持ち」とも言う。
毎日、怒鳴られっぱなし、怒られっぱなしの「修行」の始まりである。
当たり前の事だが、先輩にガミガミ言われているうちが華であり、言われなくなった時は“終り”の時だ。
まずは、人として認めてもらう事であり、その次は芸も認めてもらう事だ。
駆け出しの“小僧”にとって、仕事は山ほどある。
まずいつでも誰よりも一番多くの荷物を持って常に行動し、先に行ってドアを開けたり誘導したりしなければならない。
それに誰よりも早く起きて、一番最後に寝るのが、修行をする身として基本的な心得である。
普段の仕事は、楽屋のセッティング、アイロンがけ、靴磨き、お茶入れ、買出し、宴会の手配にセッティング、皿洗い、衣装の準備、ステージドリンクの準備、スケジュール手配の電話や、事務所の電話番、 トイレ掃除、各片付け整理整頓、搬入、セッティング、チューニング、撤収、積込、楽器メンテナンス、楽器修理、洗車、飲み屋での酒作りや会計や注文取り、 タクシーの手配などなど・・・上げればキリがないが、とにかく雑用という雑用が任務である。
さらに万が一の時には付人がボディーガードとなって、アーティストを守らなければいけない。
その為に、歩く時やエレベーターに乗る時、車や電車で移動する時など自分が立つ場所、居る場所に常に気を使わなければいけない。

このような付人をやりながら、当然自分の楽器である和太鼓の勉強や楽曲を覚えたりして日々精進するわけだが、もちろん最初から太鼓だけじゃ食えないから、1〜2年間は日々アルバイトをしながら舞台に立っていた。
そば屋、喫茶店、工場の裏方、弁当屋などでバイトしながら、昼も夜も働いた。
中でも面白くて勉強になったのは“餅つき”のバイトだ。
これは、結婚式などの祝いの席での“アトラクション”として、二人一組で餅臼と杵を使って“餅つき”の実演をやるのである。
衣装はハッピにハンダコ、タビ、セッタにネジリハチマキである。
現場である結婚式場やホテルなどに早くから入って道具を搬入し、まず舞台裏の厨房でもち米を洗ってお餅を炊く。
その後、二人一組で餅臼と杵を使ってお餅をついて、舞台裏でお餅を食べられる状態まで完成させておく。
いざ本番の時間になったら、餅臼と杵を宴会会場に運び入れて、二人で餅つきの実演をする。
実際にこの時点では、既に餅が食べられる状態にまで完成しているのだが、パフォーマンスとして餅つきの実演をするのだ。
1人が杵で餅を打ち、1人がその合間に餅を回転させる、いわゆる“餅つき”のよく見る光景である。
おめでたい席だし、縁起が良いお祝い事なので、笑顔を絶やしてはいけない。(笑)
その後、お客様の代表者数人に前に出てきてもらって、お餅をついてもらったりする。
そして、 ここからが凄い。
実演が終了したらすぐさま舞台裏に道具を撤収し、そのお餅を手で切ってキナコ、アンコ、納豆などをまぶして小皿に分けて、200名なら200皿。300名なら300皿作り、お客様に振舞いすぐに食べてもらうのである。
その後は道具を洗って片付けをして搬出し、車に道具を積込んで終りである。

これで、“1本”という単位の仕事内容だが、このバイトは同じ場所で連続2本あったり、同じ日に場所を移動して2箇所で2本だったり、 1日3箇所(3本)掛け持った日もあった。 移動して本番をやって次、移動してまた次の会場である。
ちなみに1本のバイト代(報酬)は、普通のバイトの日給程度もらえた。
1日2本やれば、当然2本分稼げる事になるから、大変だけど稼げるバイトだった。


でも、どんなバイトをやってる時もいつも思ってた。

「いつかバイトなんかしなくても、太鼓だけで食いたい!」
「いやっ!絶対に食ってやる!」
「必ずこの道で、この世界で成功してやる!」と。

自分に何度も言い聞かせて、「俺なら出来る」「自分なら必ずやれる」と自分を信じていた。

15歳から、それまで自分の“最大の趣味”であった太鼓が、“職業”“仕事”としての太鼓に変わった事は非常に大きい。
でも太鼓を演奏する事が職業となった、すなわち仕事となった日(15歳の4月)以降、最大の趣味が太鼓ではなくなった。
それは、年間を通してほとんど“仕事”をしてるわけで、その“仕事”が太鼓となると今まで以上に四六時中「和太鼓」の事を考えていている事になる。
当然それまでは“小中学生”だったわけで、太鼓はあくまでも趣味の世界だ。
趣味として太鼓を楽しむのと、太鼓でお金を稼ぐのでは全く意味が違う。
食べるために叩く(演奏する)事も時には必要なわけで、趣味でやっていた時のように楽しんでるだけじゃ食えないのである。


芸事の世界に“キャリア組”は存在しないし、ある地位からいきなりスタートできるエリートコースなど無い。
今まで出会ってきたどんな職業でも、本物のプロフェッショナルは地道な修行・下積みからの “叩き上げ”の人が多い。
そして、どんな世界(業界・職業)でも一流と呼ばれる人は、律儀・謙虚・礼儀正しいという事も知った。
芸事の世界は実力勝負、実力社会であり、自分が努力・精進すればそれだけ自分に返ってくる。
「2足のわらじ」では絶対に通用しない世界であるし、太鼓だけで食えなくてアルバイトをしてるとしたら、プロはその人がバイトしてる時間も舞台に立ち、リハーサルをこなし、自分の芸を極める為の時間に費やしている事を忘れてはいけない。
プロが1日10時間お稽古を重ねていたとして、アマチュアが2時間では追いつくわけが無い。
プロが毎日太鼓をやっているのに対し、バイトなんかしていたら追いつく訳が無いし時間がもったいない。
“プロの世界”とは「能書き無用・実力勝負」の厳しい世界であり、将来の保証なども全く無い世界である。
安定した老後を送りたいと考えているのなら、プロ和太鼓奏者なんかよりも会社員になるべきである。
しかし 会社員も今や、簡単にリストラ・解雇される時代であるから、決して「安定して保証がある」とは言えなくなってきているが、それでもまず月給があるし、保険、保証、収入面など でも、生活の安定度が違う。
“太鼓叩き”を仕事とする事は自分で決めた道だし、大好きな事だから楽しくてしかたが無い。


自分はゴルフが好きで趣味で楽しんでいるが、趣味であってもやる以上は良いスコアを出したいに決まっている。
もちろん楽しむ事が大前提だし、スコアだけが全てではない。
でもゴルフというスポーツをやる以上、「いかに少ない打数でカップイン(プレイ)するか」というゴルフルールに則りプレイする必要がある。
それに楽しけりゃいいなんて言って、自分だけ何打も何打も叩いてたら、一緒にプレイする同伴者にも迷惑がかかる。
お金を払って趣味でやるのだから楽しむ事はもちろん、少ない打数、つまり良いスコアでプレイする事ができれば、それに越した事はないのである。
しかし趣味でゴルフをやるアマチュアは、毎日のように1年中ゴルフばかりしてる訳にはいかない。
アマチュアは1ヶ月に数回や、数ヶ月に1回ゴルフを楽しむ訳だが、これに対してプロはほぼ毎日プレイしている。
これでは年月が経てば経つほど、プロには追いつけないという事になるし、プロはますます上達する。
時間のかけ方と意気込みが全然違うのだ。
プロと同等に、またそれ以上に上手くなりたければ、プロ以上の時間をゴルフに注ぎ込まなければいけない。
それぐらいの違いがある。
ほぼ毎日、朝から晩までゴルフをし続けても、プロのレベルに達する保障は無い。
良い指導者と、確実な練習方法で、精神力・技術・テクニックを身に付けなければならない。


ちなみに面白い事に15歳で“太鼓打ち”という職業に就職した自分が、新しい趣味として熱中したのは「マジック」(手品・奇術)だった。
それまでは、「職業:学生  趣味:和太鼓」 だったのが、15歳から「職業:和太鼓奏者  趣味:マジック」 となったのである。
もちろん今でも太鼓は大好きであり、趣味でやっていた頃と太鼓が大好きという気持ちや、太鼓に対する情熱や愛情は変わらない。

自分は、和太鼓奏者という職業を誇りに思っている。
そして、一生続けていく覚悟で舞台に立っている。
確かに仕事となれば商売なので、食べていかなくてはいけない訳で、趣味でやっているような楽しい事ばかりでは無いが、「いってきま〜す」と仕事に行き、太鼓を演奏するのだ。こんな、楽しい職業は無い。
全世界どこに行っても、誰と共演しても、誰が観ていても、怖いものなど何も無い。
2009年で、和太鼓奏者・御木裕樹・プロ活動20周年。
こんな自分に成長させてくれたのは、両親をはじめ家族の協力と偉大なる先輩・先人・友人のお力、そしてお客様の応援である。
心から感謝致しております。


御木裕樹(和太鼓奏者)


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和太鼓奏者・御木裕樹 コラム メニュー

  -其の壱- 和太鼓とは・・・
  -其の弐- 楽器の取り扱い
  -其の参- 奏法や楽器の名称
  -其の四- 和太鼓との出会い
  -其の伍- 礼儀・挨拶・声かけ
  -其の六- 太鼓は音楽・芸術・唄
  -其の七- プロになりたい人へ・・・
  
-其の八- 職業・仕事としての和太鼓奏者
  -其の九- 伝統を継承し伝統を創造する

  -其の拾- 御木裕樹 和太鼓フルセット

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