和太鼓奏者・御木裕樹 コラム

-其の九- 伝統を継承し伝統を創造する

「無限に広がる和太鼓の可能性」 を追求し続ける。
とは、1990年代前半よりソロ活動するにあたり自分で決めた音楽活動方針であり、以後永遠の目標ともなっている御木裕樹の“キャッチフレーズ”である。
自分は“和太鼓演奏”を1人の芸人・音楽家(ミュージシャン)・芸術家・奏者・パフォーマー・ソリストと、とらえている。
この1人の演者(エンジャ)は、例え異なるいかなるジャンルであるものともコラボレーション(共同制作)できるのである。
どんなものとセッションしようと、奏法と表現方法を研究してプロのレベルで芸術を創る目的で実行し、持ち合わせた才能とセンスと磨かれた技術があれば十分に一つの新しいジャンルが出来上がってしまうのだ。
よくありがちな、お互いにいつもの芸をただ演じるのはコラボレーションとは言えない。
これはただ同時に演じているだけであり、別に相手が他のジャンルに変わっても芸は変わらない訳で、セッションでも何でも無い。
セッション(コラボレーション)とは、お互いに影響を受け演奏や芸が変化し、触発され、調和し、良い意味でバトルし、共感し、共同制作する事だ。

自分が日頃の音楽活動において目指す「無限に広がる和太鼓の可能性」とは、人間が社会生活をしている時に遭遇する喜怒哀楽や事件・事故などが発生する確率と同じくらい無限であり、これまでの複数での合奏太鼓演奏形態 (和太鼓のみで構成された組太鼓演奏など)で新しい楽曲をやる という事ではない。
料理で言えば、今まで誰もが全く食べた事がない味であり、素材選びから調理方法、そして味付け方法〜盛り付けまで全てがオリジナル品である。
「無限に広がる和太鼓の可能性」に挑戦する事は新しいジャンルを築くほど難しい事であるが、これほど楽しい事も無い。
それだけの魅力に満ち溢れているし、「とりあえず1ステージをこなす」といった安易な“やり方”では、まずこの“可能性”には挑戦出来ない。
芸事は一生修行、いつまでも修行であり、絶対に終わりは無いが、和太鼓の可能性にも終わりは無いと考えている。
和太鼓フルセットの演奏であろうが、長胴太鼓1台だけでの演奏であろうが、立派な和太鼓の演奏であるし、他のどんな楽器とセッションしようが、どんな楽曲をやろうが 、演目をやろうが和太鼓であるし、芸術・表現である。
自分の原点は“和太鼓”であり、和太鼓のリズムが体に染み付いている。
ドラマーやパーカッショニストが、和太鼓を並べて叩く様な「和太鼓風」にはなりたくてもなれない。
それは、仮に自分が「アフリカンパーカッション」の太鼓類を並べて叩いた所で、“本物”のアフリカンパーカッショニストとは違うのである。


もう一つ基本的な事だが、外国で公演する場合は、「トラディショナル ジャパニーズドラム プレイヤー」などと紹介される事が多いが、自分は「WADAIKO」の名称で認識させたいと考えている。
「忍者」(NINJA)も、「侍」(SAMURAI)も、このままの呼び方で海外でも知られている。
日本ではドラマーと言えば、和太鼓奏者の事では無くドラム奏者の事だが、ドラマー(ドラムプレイヤー)は言い方を変えれば「洋太鼓奏者」だ。
こちらも言い方を変えれば、「ジャパニーズドラマー」(ジャパニーズドラムプレイヤー)である。
どちらも立派な「打楽器奏者」であり、どちらも素晴らしい職業であり、どちらも音楽家、芸術家、表現者である。


「もう少し和太鼓っぽく」とか、「和太鼓では無くてパーカッションみたい」だとか、よく耳にするのだが、では何が「和太鼓らしい」のか?
何がパーカッションなのか?
どこまでが和太鼓で、どこからが和太鼓では無くなるのか?
「ソロ演奏は和太鼓だが、洋楽器と共演した時点で和太鼓ではなくなる」などといった、時代に逆行するような考え方は、水洗便所を導入せず、着物しか着ず、和食のみで生活し、英語を全く使わずに生きるようなものである。
 現在の活動や表現方法も“和太鼓の新たなる伝統”であると認識している。
この時代に生まれ、今の時代を生き、現代の人間だからこそ、その時代の新しいスタイルの芸術(芸能)が生まれ、創造出来るのであって、これが江戸時代であれば洋楽器とのセッションなどは不可能な事である。
まず、洋楽器をやっている日本人がいないのだから。
それよりももっと不思議なのが、無宗教なのは分かるが、「キリスト教でもない日本人がなぜキリスト形式で結婚式を挙げるのか?」というほうが、もっと謎である。
世界には多数の宗教があるし、多数の結婚式のスタイルもある。
戦後に日本に入ってきた、アメリカやヨーロッパ文化が世界の全てでは無い。
もはや日本国(日本人)には、伝統や文化を大切にして守るといった気持ちは無いのである。
和太鼓も同様だ。
神社や神事、大相撲、雅楽、能、歌舞伎、長唄、民謡、お囃子、獅子舞、そして全国のアマチュア和太鼓団体、チーム、グループ、保存会。他、郷土芸能や伝統芸能。
これらのどこにも属さない和太鼓があるのだ。
それが、一奏者としてソロ演奏から異なる楽器やジャンルとセッションし、和太鼓演奏活動する「和太鼓プレイヤー」「太鼓打ち」「太鼓叩き」のプロであり、表現者・音楽家・芸術家・芸人として飯を食う、プロの「和太鼓奏者」である。


100年前のものが今の伝統となっているならば、今から100年後には今のものも伝統となる可能性があるのだ。
100年後に、「200年前のものは伝統だが、100年前のものは伝統では無い」などといった事があるはずもない。
意味があり、理由があり、進化する事は、どんな事にでも必要な事であり、自然な流れである。
また和太鼓の新たなる世界への挑戦とは、自分の楽器を愛してやまないからこそ生まれた、自然な行動である。
追求したい。挑戦したい。そして和太鼓の素晴らしさをもっと知ってもらいたいという気持ちが、このスタイルを生んだとも言える。
この“熱い想い”を大切にしなければいけないし、和太鼓の伝統的な知識や奏法から新世界を切り開く演奏活動まで、全てにおいて「無心」となって、真剣に一生懸命に取り組まなければいけない。
先人が残した伝統を継承し、進化させ、新たなる伝統を創造する事はどんな事にでもある。
自動車、建造物、衣服、食料品、機械、電気、どんな発達・発展も同じ事である。
戦後の発展は異常なほどだが、そんな新しい日本の文化などはまだたったの60年の伝統である。
日本本来の伝統や文化はもっともっと大昔からある訳で、言語や国土と同様に国民が守らなければいけない事が伝統文化だ。

演奏や芸術というものは、点数やスコアなどの形に現れて結果が出るものではない。
これがゴルファーならば、良いスコアが出ることにより証明されるのだが、芸術にはこれが無い。
仮に、才能やセンスがあるプロゴルファーとプロ演奏家がいたとして、同じように日々「練習、訓練、鍛錬、研究、努力」したとしても、結果の現れ方が全く違う。
スポーツなどは結果が全てとして見られる訳で、良くも悪くも形として現れてしまう。
演奏家の場合、同じ演奏を観たとしても「最高の演奏だった」と感じる人と、「最低の演奏だった」という人が出るくらいに違うものだ。
ここまで極端だと好みの問題があるにしても、芸術の良し悪しは十人十色であり、結果には出ないものだ。
どんなに自分で素晴らしいと思える「絵」を描いたとしても、見る人により判定・判断がまるで違う。
ある「絵」を、 コンテストのA委員会に持って行ったら予選落ちの評価しかもらえなかったが、B委員会にもって行ったら優勝したなんて話しもあるくらい、価値観が違う。
だから芸術は面白いのだが、だから芸術は難しいのだ。
血と汗と涙を流して努力しても、その評価は様々だからである。

「無限に広がる○○の可能性」
最近はあらゆる方面で同じようなフレーズを目にするようになったが、自分のような活動は当時から異端も異端であった。
なぜなら、「和太鼓の可能性を追求する時間があるのなら伝統芸を保存し後継者に継承しろ」というのが、和太鼓界のみならず主な伝統芸能や純・邦楽界の方針だからであり、和太鼓は和太鼓らしくというのが基本的な考え方にあるし、結局現在も昔から変わらず複数人による和太鼓のアンサンブル( 和太鼓の合奏・組太鼓)の形態が現在も主流である。
和太鼓の世界も含めて純邦楽や日本の伝統芸能の世界では、新しい事への挑戦に関しては頭が固く、良い顔をされない事が多い。
○○太鼓保存会といった和太鼓保存会などは、新しい可能性を追求する事よりも「現在の」また「現在までの」演奏(芸)を継承させ保存させる事が一番の目的である。
これは郷土芸能の和太鼓としては絶対に必要な姿であるし、偉大なる先人や先輩が創り出した和太鼓の奏法・知識・文化など、伝統を継承する事は素晴らしい事であるし、継承させなければいけないし、進んで継承させるべきである。
その伝統の殻を破り 新たなる可能性を追求し、その道の先駆者となる事は異端であり、すぐに周りと比べ「みんなと一緒」が好きで「世間体」を気にする日本人にとっては苦手でやりにくい事であるのと同時に 、受け入れにくい事である。
なぜなら全く新しいもの(演奏・芸能など)を観たとしても、すぐに今まで見た事があるものや、聞いた事があるものの枠の中に当てはめようとするし、比べようとするからだ。
これは単なる、「思い込み、イメージ、固定観念、先入観」そのものである。
全てが「想定内」の出来事で終るのなら、絶対に事故は起きない。
「想定外」の事が起こるから事故が起きる訳で、予測出来ない事は信じない、信用しない、考えたくない、というのが人間の本心であり、自分の知識に無いものや、考えたくないものは除外するといった勝手な生き物が人間である。
無限に広がる可能性を追求する事は、「常に新たに挑戦している」という事なのだが、これは言い方を変えれば「邪道の連続」という事になる。

「歌舞伎」というジャンルは現在は伝統芸能として認識されているが、もともとは邪道であり異端と認識されていた。
だいたいが、「かぶく」(傾く)という言葉自体が「常識外れ」や「異様な風体」の事であり、異風の姿形を好み、風体や行動が華美や異様な人の事を「かぶき者」(傾き者)という。 「傾奇者」とも書く。
つまり、異端である歌舞伎が長い年月をかけて現在は日本の伝統芸能になったというわけだ。


自分がプロを目指し始めた小学生の頃はインターネットも無いし、当然こんな事が書かれた記事も無い。
CDなんて無い時代だし、もちろん和太鼓(奏者・演奏)のレコードなんかも無い。
何も分からず、全てが未知の世界である。
だいたい学校でも、誰かが「サックス」をやっていると言えばカッコイイっとか言うのに「和太鼓」と聞くと「なんで〜」みたいな所があった。
でも小学校3年、4年の時の担任の先生がとても理解のある方で、なんと毎週1時間、学校の授業を潰して「太鼓の授業」を作ってくれたのだ。
「御木君の太鼓をみんなに教えてあげてよ。」この言葉は、今でもよ〜く覚えているほど嬉しい言葉だった。
早速 クラスのみんなに家から“サイ箸”を持ってくるように言って、自分が教卓に立ってサイ箸で教卓を太鼓代わりに叩いて、黒板を使って指導して毎週1時間、自分が講師となり「太鼓の授業」をやった。
クラスメイトはサイ箸で自分の机をパチパチ・ビシビシ叩く!
先生は横で一緒に「太鼓の授業」を受講していたし、終始ニコニコしながら自分の講習を見守っていてくれた。
小学3年生が教卓に立って教卓を叩いて和太鼓の指導をするなんて、冷静に考えれば凄い事をやらせて頂いていた。
まして、授業の時間を潰してまでである。凄すぎる。
自分の小学校3年、4年生の2年間の担任であった、西村智子先生に心から感謝感激である。
講習内容は、 ポピュラーなスタイルである「平置き・正面打ち」と、盆太鼓のスタイルである「横打ち」も指導した。
運動会では「八木節」をやって 、曲に合わせて「桶」(樽)を叩く演目を作ってくれて、クラス全員で見事に演じたし、本物の長胴太鼓(1尺5寸)が学校にあったので、これを使って自分のソロ演奏の時間も作ってくれた。
その後自分は応援団でも、応援団長などを務めて和太鼓を叩いたりと、とにかく先生方に評価・応援して頂いた。
地元の盆踊りでは毎年櫓(やぐら)の上で盆太鼓を叩いていたから、みんなで会場まで応援しに来てくれたり。
現在も、このクラスメイトがライブやコンサートを観に来てくれて、応援して頂いている。

将来「ピアニスト」や「ドラマー」になりたいという人は小学校時代から沢山いるのだが、「和太鼓奏者になりたい」人なんてほとんどいないのが現状だ。
職業選択のジャンルに「和太鼓奏者」なんてものは無い。
プロが少なきゃ、それだけ世の中に知られてないのだから、それをやりたいと思う人も少ないに決まってる。
やる人が少ないから、プロの出現率も少ない。
自国の打楽器だというのに、悪循環極まりなく情けなくもなる。
この国はすでに終わっている。
我国の楽器だというのに寂しい事だ。
戦後60年でこの国は大きく変わってしまい、アメリカやヨーロッパの文化のモノマネばかりするものの、自国の文化や伝統は誇りにしないし、伝統楽器などは“古い”だの“ダサイ”だのってくらいの認識だ。


和太鼓奏者という職業自体が認知されていない職業なわけで、 誰もやった事が無い事をやり始めると“邪道”だとか“異端”になるのだろうが、つまりは“かぶいて”いるのである。
自分の人生を賭けて、日本の伝統を創造しているのである。
そして全てが伝統芸能になってゆく可能性を秘めている。
結果的に日本文化の創造になる。
世界中の国々を見ても自国の文化を大切にしている。
普通の人でも自分の国の民族舞踊が踊れるし太鼓も出来るし、伝統的な歌を唄えるし民族衣装も着ている。
スーツを着てコタツで納豆を食べて、小学生がルイ・ヴィトンのバッグを持ち歩き、クリスマスと神社での初詣を両方行うなど、訳の分からない国が今の日本国である。
それに日本の民族衣装である“着物”を自分一人で着れないという、世界でも類の無いほど恥かしい人種である。
300年後、今の「ピアニスト」以上に「和太鼓フルセット奏者」が日本中に大勢いる事を期待している。
全国の楽器屋さんに行けばドラムセット以上に和太鼓セットが並び、どこの貸スタジオでも現在のドラムセット同様に和太鼓セットが常備されている時代になってほしい。
街の中では和太鼓の音が絶えず聞こえて、白米や味噌汁同様に日本人の生活に根付くもの(音楽・芸能・感情表現・娯楽)であってほしい。


その時代で一番新しく、最初は邪道・異端のものでも、後に伝統となって来たのが伝統芸能・伝統文化であ り、誰にも見向きもされない時でも信念を貫き通す事が大切だと思っている。
どんな伝統でも、その時に生きていた人がその時の生活環境や感情により生まれるものであり、それが未来に伝統となるかならないかなど決められるはずもなく、分かるはずもなく、考えても無駄な事だ。
伝統とは、伝統にしようと思って創り上げたのではなく、後の時代に「伝統」と判断した問題である。
伝統を継承する事と伝統を創造する事は同時進行であり、どちらもおろそかに出来ない事だ。
ピアノ奏者やドラム奏者と同様に、和太鼓奏者も音楽家として、どんなジャンルの音楽も奏でられる。
和太鼓が神事・趣味・郷土芸能・伴奏という“だけ”の時代は、もう終ったのである。
就職を考える際の職業選択のジャンルの中に、「和太鼓奏者」が当り前にある時代は必ず来る。
いや、そういう時代にしなければいけない。


御木裕樹(和太鼓奏者)


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  -其の八- 職業・仕事としての和太鼓奏者
  
-其の九- 伝統を継承し伝統を創造する
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